合掌造りの中を見てみましょう。
この合掌造りに住んでいた遠山家は明治30年代後半には30~50人の家族が一緒に暮らしていました。大家族だったので、合掌造りのなかでも特に大きな家屋です。
出典:『重要文化財旧遠山家住宅保存活用計画』白川村教育委員会(2016年9月)より作成
いろいろな部屋をみてみよう!
家の中のイロリがある部屋は「オモヤ(オエ)」や「ダイドコ」などと呼ばれており、オモヤ(オエ)はおもに来客用、ダイドコは自分達用に使っていました。
イロリは料理を作るのにも使いましたし、照明と暖房の役割もあり、住んでいる人たちはイロリを囲んで食事をしました。
○デイ【座敷・男性用寝室】と内陣【仏間】・チョウダ【女性用寝室】
合掌造りの家の中では、男の人と女の人が別々の部屋で寝ていました。畳の部屋は「デイ」といい、おもに男の人が寝る部屋です。
この部屋と、となりの「内陣」といわれる部屋との間の建具を外して、ひとつの部屋にすることもでき、ここで結婚式や葬式などの行事も行われていました。
内陣の右側の外に張り出した部分は仏壇を置く場所です。
このように仏壇の前に大広間が広がるスタイルがとくに古い江戸時代の合掌造りの家にみられます。
また、畳をはずして板の間にすることもでき、カイコのエサである桑の葉をここに保管することもありました。
女の人の寝室を「チョウダ」といいます。
女の人は長男に嫁ぐ人以外はほとんどが生まれた家で暮らしました。子どものころから養蚕(※1)など家の仕事をしているため、熟練した労働力として暮らしていました。
※1 養蚕については「合掌造りの生活」で説明しています。
一番大切な来客用の部屋を「オクノデイ」といいます。
お坊さんのための控室として使われることが多く、お客様用のトイレも家族用と別に付属しています。
合掌造りでは、家畜を家の中で飼っていました。牛や馬は、農耕や移動・運搬の道具として重要で大切な財産でもありました。
とても寒い地域なので、家畜を家の中で飼って大切にすると同時に、少しでも家の中を暖かくする効果もありました。
○トイレ
人の排せつ物を肥料や塩硝づくり(※2)に利用するために分ける必要があったため、トイレは「小」と「大」(ヘンチャ)で分かれていました。
「小」は建物の中の土間に、「大」は建物の外に隣接して作られています。
<小用トイレは模型には再現されていません>
※2 塩硝作りについては「合掌造りの生活」で説明しています。